ブログ共同管理者にして、暇なサラリーマンのヤンマーDでございます。
ボランティアに参加した感想の続きでございます。
しかし、まだ余震が続いておりますね。ボランティアに参加する前日にも、東北で大きな地震があり、当日は携帯に災害訓練のメールが入り、最終日には茨城の方で大きな地震がありました。
まだ、安全ではない地域で、津波警報が出たら、作業を即座に中止し、とにかく高いところへ逃げてくださいと、作業前に注意がありました。
その場が緊張感に包まれました。
初日の作業終了後、南三陸町の社協の局長が宿まで来て、震災を語ってくれました。
ひじょうに淡々と、しかし、その裏に静かなる怒りが感じられました。
DVDで何が起きたのかをまず見せていただきました。
そして、ご自身の身内が防災庁舎で亡くなられたお話も伺いました。20日間家に帰れなかった話しも伺いました。しかし、ご自身のことは常に淡々とお話しされてました。
防災って、訓練を一生懸命やってきたが、絶対にやるべきだが、いくらお金を使って災害を防ごうとしても、自然にはどうやってもかなわないそうです。
だから、減災を考えなさいと。
動けない病気の人を見殺しにすることはできないけど、助けるにはどうするか。2階ではなく3階でも4階でも高いところに初めからいてもらう。
想定した、災害時のネットワーク構築がすべて寸断され、首長やその地域の長の人が死んだら、想定した訓練がまったく機能しない。そんなとき、どうするか。
津波で亡くなった人は、肺に水が入っていなかったそうです。
溺れたわけではなく、10tトラックに轢かれるくらいの衝撃で亡くなっているそうです。
例え50cmの津波でも死ぬそうです。
まず、自分が生き残ることを考えなさいと。
人を助けようとして、亡くなった人があまりにも多かったそうです。自分が生き残ってこそ、災害の後に何かができることを痛感したそうです。
ご自身も、2人を助けようとして、1人は助かり、1人は目の前で助けられなかったそうです。
正直、きれい事では生きられないということを経験した方の言葉は重みがあります。
1時間も時間を作ってくださったので、裏話もいろいろ伺えました。
火事場泥棒の話は印象深かった。県外から泥棒がやってきます。893もくるそうです。
しかし、内なる泥棒もいるそうです。大金が動く時、かなりの上層部に吸い上げられ、本当の意味で本当に困っている被災者に割り振られるお金がないそうです。
そして、自分は被災者だということで、今現在もネットで無料でさまざまな生活品を送ってもらっている人もいるそうです。
逆に、使えないけど捨てられない支援物資も数多く残ったといいます。
災害が起きて直後は、仕方がないとして、少し落ち着いたら、1円でもお金をいただくようにしないと、被災者にとっても、良くないとのことでした。
さて、復興にはお金がかかるが、国は本当の意味で何もしてくれないし、決まるのも遅いそうです。
減災のためには、高台に居住地を求めないといけません。山を一つ切り開き、道路を上に上げることでも相当な予算が必要になります。だから、DVDを作り、復興支援を求め、企業を回り融資をお願いしているそうです。社協の職員の仕事かどうかはわかりませんが、それをやらざるを得ない状況だそうです。
そうして、同時に、町おこしも考えなければならない。
イースター島からモアイ像が送られ、それを町おこしにするための活動を実施しているそうです。これも社協の仕事かどうかわかりませんが、そんなこと言っていられない状況のようで、リーダーシップを発揮せざるを得なかったのか、もともと備わっていたのかはわかりませんが、感銘を受けました。
さて、ボランティアの話です。NGO法人は、大きな組織が多く信用できるが、NPO法人には気をつけなければならないそうです。これは、すべてのNPO法人が悪くNGOが良いという事ではないようですが。
南三陸町の復興は遅れています。
人もいないので、大阪から来たボランティアの人を、雇用したそうです。
彼らの生活を成り立たせて、活動してもらうことが必要だからだといいます。
いままで、1万2000人以上のボランティアが延べ入ってきたそうです。1個の石を片付ければ1万2000個の石が取り除かれます。
10個のがれきをかたづければ12万のがれきが撤去できます。
そんな話を伺った時、1個の石拾いも無駄じゃないんだと、モチベーションが上がりました。
私たちボランティアも、この作業が一体、どれほど、現地の人の役に立っているのか、わからないでやることが多いので、非常に重みがありました。
もうすぐ3年経つのに、まだ、人海戦術的なボランティアを必要としていることに驚きました。
東日本大震災は、もう、福島原発の問題ぐらいしか意識になく、忘れかけていた自分に気づきました。
参加して良かったと思いました。